今週「秋だなあ!」と感じる瞬間がありました。散歩をしていると、どこからともなく金木犀の匂いが漂って来ました。今年初の金木犀の匂いでした。金木犀は、秋になると木の姿を見るよりも先に、匂いでその存在が分かります。
「香り」というのは伝わっていくものです。今週読んだ本に次のような逸話が紹介されていました。
「ある牧師が駅で靴磨きをしてもらおうとしました。混み合っていたので、靴磨きのおじさんは、次から次と靴を一心に磨いていて、その靴をはいている人がどんな人なのか、見るいとまもありません。やっと順番が回って来て、磨き終えると、このおじさんがふと顔を上げて、次のように言ったというのです。『あなたの靴を磨いていると、不思議にいつまでも磨いていたくなります。さっさと終わりたいとか、磨きたくないという気持ちにさせるお客さんもいるんですが…』。
私はこのお話をきいて、非常におもしろいことだと思いました。人には、その人なりの雰囲気があって、漂っているということです。ちなみに、その人は、キリストの香りと呼ぶにふさわしい麗しさを備えたかたでした。」(工藤信夫『援助の心理学』84ページ)
私たちが声高に叫ぶものではなく、むしろ自然体のその人の雰囲気が周りの人に伝わっていくものなのかもしれません。福音書には、イエス様の周りに世間からつまはじきにされた人たちや、子どもたちが集まって来た様子が繰り返し記録されています。私たちもキリストの香りを放つ者とさせていただきたいですね。
「救いの道をたどる者にとっても、滅びの道をたどる者にとっても、わたしたちはキリストによって神に献げられる良い香りです。」
(新約聖書 コリントの信徒への手紙Ⅱ 2:15 新共同訳)
セブンスデー・アドベンチスト甲府キリスト教会 牧師 伊藤 滋