転勤のため、ある教会を離れる際に、書道の先生でもある教会員の方から聖書の言葉の書かれた色紙をいただきました。私がリクエストした聖句をわざわざ書いて贈ってくださったのです。そこには次の聖書の言葉が書かれています。
わたしたちは、見えるものにではなく、見えないものに目を注ぐ。見えるものは一時的であり、見えないものは永遠につづくのである。
(新約聖書 コリント人への第二の手紙4:18 口語訳)
※写真はそのとき頂いた聖句の色紙です。
このとき何を思ってこの聖句をリクエストしたのか、はっきり思い出すことはできません。いつも表面的なものにとらわれ、その中で一喜一憂していた自分を戒める言葉が必要だ、そんな思いだったのかもしれません。
あれからもうすぐ15年が過ぎようとしています。色々なことがありましたが、ときにこの聖句に励まされ、ときに思いを正されながら今日まで過ごしてきました。
この短い聖句は様々なことを私たちに訴えかけてくるように思います。
「見えるもの」の背後に「見えないもの」がある。
「見えるもの」は、「見えないもの」に支えられている。
人は「見えるもの」によって評価するが、「見えないもの」に目を注いでおられる方が、確かに存在しておられる…。
15年来、部屋の壁に掲げられた色紙の言葉が、今日も私を見守っています。この言葉に励まされ、大いに勇気づけられる日もあれば、この言葉の前に「穴があったら入りたい」ような気持ちにさせられる日もあります。
今日一日も、信仰によって「見えないものに目を注ぐ」生き方をしていきたいものだと願っています。
セブンスデー・アドベンチスト甲府キリスト教会 牧師 伊藤 滋