昨年に続いて百合の花が見事に花開きました。四季折々の花は私たちの目を楽しませてくれます。
桜のように春に咲く花があり、アジサイのように梅雨時に美しい花を咲かせる花もあります。夏の厳しい暑さのもとで咲く花もあれば、秋に咲く花、厳しい冬の寒さの中でも花を開くパンジーやビオラのような花もあります。
今年も咲いた百合の花を見ながら、次の聖書の言葉が思い出されました。
天が下のすべての事には季節があり、
すべてのわざには時がある。
生るるに時があり、死ぬるに時があり、
植えるに時があり、植えたものを抜くに時があり、
殺すに時があり、いやすに時があり、
こわすに時があり、建てるに時があり、…。
(旧約聖書 伝道の書3:1~3 口語訳)
花は季節が来ればつぼみがふくらみ、やがて花を咲かせます。しかし、私たちの人生の「時」は、「夏が近いから百合の花が開く」というように先を見通すことができません。
「神のなされることは皆その時にかなって美しい。神はまた人の心に永遠を思う思いを授けられた。それでもなお、人は神のなされるわざを初めから終りまで見きわめることはできない。」(同3:11)
と書かれている通りです。
苦しみのトンネルの出口が見える「時」。
涙を流しながら祈り続けてきた祈りがきかれる「時」。
・・・それがいつなのか、私たちには分かりません。しかし、植物が地に根を下ろし、生きているなら「時」が来て必ず花を咲かせるように、私たちも命の源である神様にしっかりとつながり続けているならば、必ず神様が「時」を備えていてくださると信じます。
神様の「時」に、花が咲くのを目撃し、共に心から神様を讃美する日が一日も早くきますようにと祈ります。
セブンスデー・アドベンチスト甲府キリスト教会 牧師 伊藤 滋