自分が傷ついているとき、傷の痛みが気になります。そんなとき、ある人に「自分の傷のことばかり考えていると、なかなか傷の痛みを忘れることができないけど、誰かの傷に包帯を巻くことを考えていると、いつのまにか自分の痛みを忘れられることがあるよ」とアドバイスをいただいたことがありました。
クリスチャン作家の三浦綾子さんがその作品の中で次の言葉を残しておられます。
「包帯を巻いてあげられないのなら、むやみに人の傷にふれてはならない。」(三浦綾子『続・氷点』より)
三浦さんの言葉にありますように、むやみに「人の傷」にふれることは避けるべきでしょう。しかし、自分の傷ばかりに向いていた意識が、周りの人の回復や幸せに向けられていくとき、ほかでもない自分自身の傷が癒されていくということも確かにあるように思うのです。
わたしの選ぶ断食とはこれではないか。悪による束縛を断ち、軛の結び目をほどいて
虐げられた人を解放し、軛をことごとく折ること。
更に、飢えた人にあなたのパンを裂き与え
さまよう貧しい人を家に招き入れ
裸の人に会えば衣を着せかけ
同胞に助けを惜しまないこと。
そうすれば、あなたの光は曙のように射し出で
あなたの傷は速やかにいやされる。
(旧約聖書 イザヤ書58:6~8 新共同訳)
「(苦しみの中にある人に自分が出来ることをしていくとき)そうすれば…あなたの傷は速やかにいやされる」という聖書の言葉に希望を与えられます。わたしたちが誰かのためにさせていただくことは「誰かのため」であるばかりでなく「わたし自身のため」でもあるのです。わたしたちの様々な人とのつながりが、共に重荷を負い合い、共に癒される機会になっていきますように。
セブンスデー・アドベンチスト甲府キリスト教会 牧師 伊藤 滋
※陣馬山登山道からの富士山の眺めです。