ある教会員の方のお見舞いに病院を訪問したときのことです。いつものように病室に入ろうとすると、ベッドのほうから讃美歌の声が聞こえました。少し不思議に思いながら枕元を見ると、一人の看護師さんが、入院中のその方のために讃美歌を歌ってくださっているところでした。
「○○さんの教会の牧師の伊藤です」と挨拶をしますと、その看護師さんは少し照れくさそうに笑いながら「わたしの讃美歌、聞こえちゃいましたか?わたしもクリスチャンなんです。宗派は違うかもしれないけど、○○さんも知っている讃美歌があればいいな、と思って。」と話してくださいました。枕元を見ると、見やすいように拡大コピーされた讃美歌の楽譜や、主の祈りの言葉などがあり、この看護師さんが病床で過ごしているこの方のためにクリスチャンとして出来る限りのことをしようとしてくださっている、その思いが伝わってきました。
使徒パウロはこのような言葉を残しています。
神は、わたしたちをいつもキリストの勝利の行進に連ならせ、わたしたちを通じて至るところに、キリストを知るという知識の香りを漂わせてくださいます。救いの道をたどる者にとっても、滅びの道をたどる者にとっても、わたしたちはキリストによって神に献げられる良い香りです。
(新約聖書 コリントの信徒への手紙Ⅱ 2:14,15 新共同訳)
その日、病室で「キリストの香り」に触れることが出来ました。
「香り」は本人が自覚していても、あるいは自覚していなくても周囲に伝わっていきます。
私たちも「キリストの香り」を放つ者とさせていただきたいものですね。
セブンスデー・アドベンチスト甲府キリスト教会 牧師 伊藤 滋