3月10日、聖書のつどいの皆さんと、府中郷土の森公園に梅のお花見に行ってきました。
公園内には約60種類・1100本の梅が植えられていて、訪れる人たちの目を楽しませてくれます。
梅の花を眺めながらお弁当をいただき、その後ゆっくりと園内を散策して梅林の眺めや香りを楽しむことが出来ました。
間もなく梅の花の見頃は終わり、桜の開花の季節を迎えようとしています。美しく花が咲く時期、花見の名所にはたくさんの人が集まります。
しかし、その陰で人知れず木の管理・手入れをしている方々がおられるということ、そしてこれだけの梅林や公園に植えられた植物の管理にはどれほどの苦労があるのだろうかと、考えさせられました。
わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。
わたしにつながっていながら、実を結ばない枝はみな、父が取り除かれる。
しかし、実を結ぶものはみな、いよいよ豊かに実を結ぶように手入れをなさる。
(新約聖書 ヨハネによる福音書15:1,2 新共同訳)
美しい花を咲かせ、豊かな実を実らせるためには樹木の手入れが不可欠であるように、私たちも神様によって「手入れをされる」ことがあります。それは自分の身を切られる、大きな痛みの伴う経験です。しかしこの痛みは、私を不幸にし、滅ぼすためのものではなく、より多くの花を咲かせ、実を残すための「手入れ」なのだと聖書は教えているのです。
「神様…。正直言うと痛いのはイヤですが…あなたが良いと思われることを行ってください。」
それがわたしの祈りです。
セブンスデー・アドベンチスト甲府キリスト教会 牧師 伊藤 滋