先週に続いて「忘れる」ということを考えている中で、旧約聖書に考えさせられる言葉がありました。
自分のもとに売られてきた奴隷が6年間働いたならば、7年目には彼らを解放してやりなさい、しかも彼らに惜しみない贈り物をもたせなさい、と神様はイスラエルの民に言われました(申命記15:12~14)。
その理由について続きの箇所に次のように書かれています。
「エジプトの国で奴隷であったあなたを、あなたの神、主が救い出されたことを思い起こしなさい。それゆえ、わたしは今日、このことを命じるのである。」
(申命記15:15 新共同訳)
エジプトで奴隷だったイスラエルの人々も、時が流れ、環境の変化の中でかつての苦しみや痛みを忘れ、実際にエジプトで奴隷生活を経験した世代はいなくなったことでしょう。人間は「忘れる」生き物なのです。そんな人間に神様は言われるのです。「かつてあなたが奴隷だった日のことを、そしてわたしがあなたをそこから救い出したことを忘れないようにしなさい」と。
苦しみを経て人は自分に対して謙虚に、そして他者に優しくなることが出来ます。その苦しみから自分を救い出してくださった神様に感謝します。しかし、苦しみが過去のものになってしてしまうとき、神様への感謝も、同じような苦しみの中にある人への優しい気持ちも風化してしまうのです。
私たちの周りに、私のかつての傷、かつての苦しみのゆえに、分かり合える傷・苦しみを抱えておられる方がおられないでしょうか。私を救い出された神様の御手を思い起こし、苦しみの中にある方のために祈りたいと思います。
セブンスデー・アドベンチスト甲府キリスト教会 牧師 伊藤 滋
※今週出会った風景:雨上がりの小径。