聖書は私たちに「聞くことの大切さ」を教えています。
しかし、私たちは神様に対しても、人に対しても「聞く」ということが、あまり得意ではありません。
祈りのとき、自分の願いを神様に訴えることに忙しく、神様からの声に耳を傾けることを忘れてしまう。
人の話を聞くよりも、ついつい自分がしゃべってしまう。
相談に来てくれた人の力になりたくて、自分が思いつく限りのアドバイスを!と、しゃべりまくってしまい、失望した表情で去って行ってしまった…というような失敗を何度繰り返したことでしょうか。
「どうか黙ってくれ
黙ることがあなたたちの知恵を示す。
わたしの議論を聞き
この唇の訴えに耳を傾けてくれ。」
(ヨブ記13:5,6・新共同訳)
(写真は、自宅からの夜明けの空です。)
立て続けに起きた試練に身も心もズタズタになり、苦しんでいたヨブのもとに3人の友人がやってきます。彼らは苦しみの中にあるヨブに正論を振りかざします。彼らの言葉はいずれも正しいものでしたが、それは苦しみの中にあるヨブが必要としていたものではありませんでした。たまりかねてヨブが彼らに言ったのが先の言葉でした。
「この唇の訴えに耳を傾けてくれ」・・・ヨブと同じこの叫びが、今日私たちの周りでも声なき声となって響いているのではないでしょうか。
神様は私たちに「静まってわたしこそ神であることを知れ」(詩篇46:10・口語訳)と呼びかけています。心を静めて神様の言葉を聞く者に、そして人の言葉に心から耳を傾けられる者となりたいものです。
セブンスデー・アドベンチスト甲府キリスト教会 牧師 伊藤 滋