神によって置かれた場所

「自分を今、この場所に置かれたのは神様なのだ」という確信を持つ人の強さがあります。

先日、教会の皆さんと聖書を読んでいたとき、次の聖書の言葉が心に留まりました。

「人々が、『だれが、お前を指導者や裁判官にしたのか』と言って拒んだこのモーセを、神は柴の中に現れた天使の手を通して、指導者また解放者としてお遣わしになったのです。」

使徒言行録7:35

若い日に自分の仲間たちに拒否され、失意のうちにエジプトを去ったモーセでしたが、後に神様は彼を出エジプトのリーダーとして選び、モーセはこの特別な働きを成し遂げました。モーセの人生は困難の連続でしたが、「自分をこの働きに任命したのは人間ではなく、自分が信じている神ご自身なのだ」という確信は、彼を生涯支え続けました。

「生きてゆく」ということは、楽しいことばかりではありません。周囲に理解されず、一人ぼっちで涙を流すような日もあるでしょう。でも、そんなとき「自分を今、この場所に置かれたのは、神様なのだ」との確信を持つ人は、そこに踏みとどまることが出来ます。たとえ人に拒否されたとしても、神様が共にいてくださることを知っているからです。

「今、自分がここにいること」が苦しく感じるときにこそ、「わたしを今この場所に置かれたのは神様なのだ」という確信を取り戻したいと思うのです。わたし自身には目の前の困難を乗り越える力がなかったとしても、神様がわたしをここに導かれたのなら、乗り越える力も必ず神様が与えてくださるのですから。

20141206神によって置かれた場所

 

先日行われた結婚式の写真です。「神が合わせられたものを、人は離してはならない」(マルコ10:9)という聖書の言葉を共に心に刻みました。

 

セブンスデー・アドベンチスト甲府キリスト教会

牧師 伊藤 滋