聖書の学びの会の皆さんと箱根に行ってきました。天候に恵まれ、富士山、仙石原のススキ、ロープウェーからは芦ノ湖や大涌谷、芦ノ湖スカイラインからは夕日に輝く駿河湾など、素晴らしい景色を堪能することが出来ました。
“山”には、私たちの心を惹きつける魅力があります。人間は自分よりも圧倒的に大きな存在と向き合うときに、自らのちっぽけさを思い知り、より確かなものへと心が向けられるものなのかもしれません。
詩編に次のような言葉があります。
目を上げて、わたしは山々を仰ぐ。
わたしの助けはどこから来るのか。
わたしの助けは来る 天地を造られた主のもとから。
(詩編121:1,2)
私たちの人生にも失意のうちに「山々を仰ぐ」ような場面が、「わたしの助けはいったいどこから来るのだろうか…。」と思わずため息をついてしまうような苦しみのときがあります。
以前、なかなか出口の見えない試練の中にあったとき、詩編の言葉に力づけられました。詩編は神様への「本音の言葉」が書き連ねられています。自分の苦しみ、嘆き、不安や怒りをそのままぶつけている箇所があります。そしてそれらの叫びが、やがて神様への祈り、讃美、信仰の告白へと引き上げられているのです。
いままさに、途方に暮れる思いで「わたしは山々を仰ぐ」そんな日々を過ごしている方がおられるかも知れません。
神様ご自身が、あなたの痛みを祈りに、嘆きを平安に、うめきを讃美へと引き上げてくださいますように。詩編121:1,2の言葉は、次の祈りの言葉につながっています。
どうか、主があなたを助けて
足がよろめかないようにし
まどろむことなく見守ってくださるように。
(詩編121:3)
セブンスデー・アドベンチスト甲府キリスト教会 牧師 伊藤 滋