長男の高校のPTAに出席するため、広島に行ってきました。広島までの道のりを車で往復するのはさすがに疲れましたが、久しぶりに広島三育学院のキャンパスに行くことが出来て本当によかったです。
私にとって広島三育学院は母校であり、かつての職場でもありますので、懐かしいよく知った場所です。しかし、「長男が高校生活をしている広島三育学院」を 私は知りませんでしたので、今回キャンパスに足を運び、息子が高校生活を送っている姿を直に見ることが出来たのは大きな収穫でした。インターネットや携帯電話が普及して、一昔前では考えられなかったようなことが出来るようになりました。離れた場所にいても、パソコンを介して相手の顔を見ながら会話をしたり、行ったことのない街の写真や情報を集めることが簡単に出来ます。しかしどんなにIT機器が進歩しても、実際にその場に足を運び、顔と顔とを合わせて同じ時間を過ごすことの価値は変わらないでしょう。 「 ※写真は広島三育学院の正門です。(撮影:村上創) 」
むしろ、足を運ばず、顔を合わさずに用事を済ませてしまう時代だからこそ、同じ場所に集まり、顔を合わせることの意義が増しているように感じます。
今から約2000年前、イエス様はこの地上に一人の人間として降りて来てくださいました。私たちと同じ空気を吸い、同じ苦しみを味わい、共に生きてくださいました。ただ口先だけで「あなたを愛しているよ」と言うのではなく、遠くから足を運び、共に生きることで私たちに愛を示してくださったのです。イエス様こそが「足を運ぶことの意味」を身をもって示してくださったお方です。
遠くから、主はわたしに現れた。
わたしは、とこしえの愛をもってあなたを愛し
変わることなく慈しみを注ぐ。
エレミヤ31:3
セブンスデー・アドベンチスト甲府キリスト教会 牧師 伊藤 滋