エジプトでの高度な訓練を受けたモーセさんは、40歳という力や権力、そして気力に満ちている時期をむかえていました。
そして、同胞を解放するという大きな使命に燃えていたモーセさんに転機がおとずれました。
モーセが成人したころのこと、彼は同胞のところへ出て行き、彼らが重労働に服しているのを見た。そして一人のエジプト人が、同胞であるヘブライ人の一人を打っているのを見た。 (聖書 出エジプト記 2:11 新共同訳)
重労働に加え、酷い扱いを受けているのを目撃したモーセさんは、自分の感情を抑えることができなくなりました。
そして、訓練で培ってきた力をもってそのエジプト人に向かって行きました。
モーセは辺りを見回し、だれもいないのを確かめると、そのエジプト人を打ち殺して死体を砂に埋めた。(聖書 出エジプト記 2:12 新共同訳)
同胞を酷い目にあわせているエジプト人に襲い掛かり、結果的に人を殺めてしまいました。
勿論、エジプト側にこのことが知れれば問題になります。しかし、この時、現場にいたのは虐待されていた同胞だけでした。
感情的に手をだしてしまったことではありましたが、モーセさんにとってこの出来事は、自分がエジプト側の人間ではなくヘブライ人に味方する存在であるということを示す十分な証拠となったと思われました。
しかし、そう簡単にはいきませんでした。
モーセは、自分の手を通して神が兄弟たちを救おうとしておられることを、彼らが理解してくれると思いました。しかし、理解してくれませんでした。
(聖書 使徒言行録 7:25 新共同訳)
神様がモーセさんを用いて同胞をエジプトから救い出そうと計画しておられたことは間違いないことでした。しかし、囚われている側がそれを理解しない時、そこから救出することは困難を極めます。
神様が私たちのためにしてくださることに対して、私たちが心を閉ざしてしまうがために理解できないことがあるかもしれません。
常に心を開いて神様の計画を知ることができるように祈り求めていきたいですね。