「繁栄と迫害」

エジプトで大きな地位を得たヨセフさんとその兄弟たちは年老いて眠りにつきました。

それでもどんどん繁栄が続き、イスラエル人のコミュニティは大きくなっていきました。

 しかし、この異国の地における繁栄が火種となり、大きな試練の時がやってくることになりました。

そのころ、ヨセフのことを知らない新しい王が出てエジプトを支配し、国民に警告した。「イスラエル人という民は、今や、我々にとってあまりに数多く、強力になりすぎた。抜かりなく取り扱い、これ以上の増加を食い止めよう。一度戦争が起これば、敵側に付いて我々と戦い、この国を取るかもしれない。」(聖書 出エジプト記 1:8-10  新共同訳)

イスラエル人の繁栄は、神様の約束であり、大きな祝福のあらわれでした。しかし、エジプトの王からすると、その繁栄は自国に牙をむく勢力になりかねないという危機を感じるものでありました。

こうして、ヨセフさんを通して築き上げられたイスラエル人とエジプト人の友好関係に終止符が打たれることとなりました。

エジプト人はそこで、イスラエルの人々の上に強制労働の監督を置き、重労働を課して虐待した。イスラエルの人々はファラオの物資貯蔵の町、ピトムとラメセスを建設した。(聖書 出エジプト記 1:11  新共同訳)

神様に従う歩みは大きな祝福となります。しかし、サタンの勢力にとって、その繁栄は決して面白くないものであり、全力で阻止しようと攻撃してきます。まさにイスラエルの人々は、そのような状況に追い込まれ始めたのでした。

私たちも、神様に従う歩みをする時、サタンの攻撃の大きさを感じることがあります。信仰を持ち、神様のみ言葉に聞き従う時、それがより大きなものであると感じるかもしれません。

しかし、神様は、ご自分に信頼して従う者を決してお見捨てにはなりません。この後、イスラエルの人々はエジプトの地で奴隷の身分となっていきますが、神様はそこに1人の指導者を立て、そこから救い出す計画を持っておられました。