「約束の地を信じて」

 兄たちと赦しの再確認をし、しっかりと和解をした後、ヨセフさんはエジプトの地で110歳をむかえました。

ヨセフは兄弟たちに言った。「わたしは間もなく死にます。しかし、神は必ずあなたたちを顧みてくださり、この国からアブラハム、イサク、ヤコブに誓われた土地に導き上ってくださいます。」(聖書 創世記 50:24新共同訳)

エジプトの地において、住む土地があり、働くことができ、更にはヨセフさんに対する周囲からの信頼もあり、何不自由なく暮らせていたことと思います。

しかし、ヨセフさんが死に際して残した言葉は、この地で仲良く暮らしていきなさいという言葉ではなく、神様が約束の地に導き上ってくださるというものでした。

これは、ヨセフさんの家族がエジプトの地に移住してきた際に、ファラオに対して表明していたものでした。

それから、ヨセフはイスラエルの息子たちにこう言って誓わせた。「神は、必ずあなたたちを顧みてくださいます。そのときには、わたしの骨をここから携えて上ってください。」ヨセフはこうして、百十歳で死んだ。人々はエジプトで彼のなきがらに薬を塗り、防腐処置をして、ひつぎに納めた。(聖書 創世記 50:2526 新共同訳)

ヨセフさんは、生きて約束の地を見ることはありませんでした。これが成就していくのはずっと後のことでした。

しかし、今それを見ることができずに眠りにつくことになったとしても、ヨセフさんの中には神様が必ず顧みてくださり約束の地に導いてくださるという確信がありました。

私たちも、信仰の歩みをしている中で、いつかはこの地上において死という眠りに直面します。それは、ヨセフさんのように、年老いて死期を悟り、家族に囲まれてという状態ではないかもしれません。

しかし、たとえ私たちがこの「仮住まい」である地上の歩みにおいて死の眠りについたとしても、キリストの十字架の贖いと死からの復活を信じ受け入れる者は、キリストがもう一度私たちを迎えに戻って来られる時、その眠りから覚めて約束の地へと迎え入れてくださいます。

この約束の地への旅路は、この「仮住まい」である地上での歩みにおいて既に始まっています。私たちも、神様が約束してくださっている天の御国を目指して歩んで行きましょう。そして、そこに入れていただくための備えをしていきましょう。