父ヤコブさんの埋葬も済み、エジプトへと帰って来た一同でしたが、ヨセフさんの兄弟たちは1つの不安を抱えていました。
ヨセフの兄弟たちは、父が死んでしまったので、ヨセフがことによると自分たちをまだ恨み、昔ヨセフにしたすべての悪に仕返しをするのではないかと思った。
(聖書 創世記 50:15新共同訳)
ヨセフさんは、兄弟たちと再会を果たした際に、これは全て神様が導いてくださったことですと言って赦しを表明していました。
しかし、兄たちの心の中では、父がいることでヨセフさんの復讐心が緩和されているのではないかと思っていたようでした。その頼みの綱の父がいなくなった今、今度こそヨセフさんが過去の酷い仕打ちに対する復讐をしてくるのではないかという恐れを抱いていたました。確かに、エジプトの権力者であるヨセフさんが、復習のために命令を出せばどうにでもなってしまう可能性はありました。
そこで、人を介してヨセフに言った。「お父さんは亡くなる前に、こう言っていました。『お前たちはヨセフにこう言いなさい。確かに、兄たちはお前に悪いことをしたが、どうか兄たちの咎と罪を赦してやってほしい。』お願いです。どうか、あなたの父の神に仕える僕たちの咎を赦してください。」これを聞いて、ヨセフは涙を流した。
(聖書 創世記 50:16–17 新共同訳)
兄たちは、父からの言葉として、ヨセフさんに赦しを請いました。ここでもまたヨセフさんは涙を流しました。ここまで再会を喜んで生活をしてきたのにも関わらず、まだ兄たちの中にそのような不安が残ってしまっていたということは、ヨセフさんにとって悲しいことであったことと思います。
ヨセフは兄たちに言った。「恐れることはありません。わたしが神に代わることができましょうか。 あなたがたはわたしに悪をたくらみましたが、神はそれを善に変え、多くの民の命を救うために、今日のようにしてくださったのです。どうか恐れないでください。このわたしが、あなたたちとあなたたちの子供を養いましょう。」 ヨセフはこのように、兄たちを慰め、優しく語りかけた。(聖書 創世記 50:19–21 新共同訳)
この出来事を通して、晴れて、殺意を持つほどに弟を憎んでいた兄たちと、その感情によって奴隷として売り飛ばされてしまったヨセフさんの間に、本当の和解が訪れました。
兄たちの恨みや妬みによって奴隷として売り飛ばされたことが、結果的にエジプトの地で権力者となることで兄たちを救うこととなりました。
キリストは、私たちの抱えている罪のために、その妬みや憎しみによって十字架にかけられました。しかし、キリストはそれを通して私たちに救いをもたらしてくださいました。そして、王位につかれました。
そのキリストは、罪人の私たちを愛し赦してくださるお方です。悔い改めて罪を告白する時、私たちはその大きな愛と赦しを経験することができます。