「おのおのにふさわしい祝福」

ヨセフさんの2人の息子を祝福したヤコブさんは、死を前にして12人の息子たちを集めて最後の言葉を語りました。

ヤコブは息子たちを呼び寄せて言った。 「集まりなさい。わたしは後の日にお前たちに起こることを語っておきたい。 ヤコブの息子たちよ、集まって耳を傾けよ。 お前たちの父イスラエルに耳を傾けよ。(聖書 創世記 49:12 新共同訳)

死ぬ直前の父から息子たちへの最後の言葉ということで、きっと感動的な言葉が語られるのだろうと期待したかもしれません。しかし、ここで父の口から語られた言葉は、それぞれの送って来た人生と、それぞれの子孫が歩んでいく将来の姿でありました。ある者はこれまでの人生における過ちとそれにともなう結果が語られました。また、ある者は大きな役割を担うことが告げられました。

ユダよ、あなたは兄弟たちにたたえられる。 あなたの手は敵の首を押さえ 父の子たちはあなたを伏し拝む。(聖書 創世記 49:8 新共同訳)

ユダさんは、長男ルベンさんの失態によって長子の特権を受けたリーダーでした。そして、兄弟たちの中でも特に弟をお思いやる気持ちのある人物でした。

そのユダさんの子孫に対してこのようなことが告げられました。

王笏はユダから離れず 統治の杖は足の間から離れない。 ついにシロが来て、諸国の民は彼に従う。(聖書 創世記 49:10 新共同訳)

これは、ユダの子孫からメシアが誕生するというものでした。このユダ族が、イエス・キリストに繋がる系図をつくっていきました。

父の口から語られた祝福の言葉の差に関して、昔の兄弟たちなら妬みや恨みを覚えて言い争っていたかもしれませんが、成長した彼らはそれぞれに語られた父の言葉を真剣に聞きました。

これらはすべて、イスラエルの部族で、その数は十二である。これは彼らの父が語り、祝福した言葉である。父は彼らを、おのおのにふさわしい祝福をもって祝福したのである。(聖書 創世記 49:28 新共同訳)

父ヤコブさんは、息子たちを心から愛して、誰かをえこひいきすることなく、全員に対してその愛を注ぎました。そして、おのおのにふさわしい祝福をしたのでした。

死に際にこんなことを言いたくないということもあったかもしれません。しかし、これも父の愛でした。それゆえに、ただの譴責ではなく、おのおのにふさわしい祝福の言葉としてそれぞれが最後の言葉を受け取っていきました。