飢饉の中、ヨセフさんの政策により家畜と引き換えに食糧を得たエジプトの人々でしたが、それでも困難な状況は続いていました。
その年も終わり、次の年になると、人々はまたヨセフのところに来て、言った。「御主君には、何もかも隠さずに申し上げます。銀はすっかりなくなり、家畜の群れも御主君のものとなって、御覧のように残っているのは、わたしどもの体と農地だけです。どうしてあなたさまの前で、わたしどもと農地が滅んでしまってよいでしょうか。食糧と引き換えに、わたしどもと土地を買い上げてください。わたしどもは農地とともに、ファラオの奴隷になります。種をお与えください。そうすれば、わたしどもは死なずに生きることができ、農地も荒れ果てないでしょう。」(聖書 創世記 47:18-19 新共同訳)
このままでは生活していくことができないと感じた人々は、それぞれ持っている農地とそこで働く農奴として買い取ってほしいと申し出ました。
これまで通り普通に農家をやりながら飢饉で苦しむよりは、ファラオの支配下におかれつつも飢饉の中でも食べていくことができるほうがよいと考えたのでした。
ヨセフさんは彼らの申し出を受け入れ、農地をその所有者ごと買い取りました。そこで、ヨセフさんはルールを決めました。
ヨセフは民に言った。「よいか、お前たちは今日、農地とともにファラオに買い取られたのだ。さあ、ここに種があるから、畑に蒔きなさい。 収穫の時には、五分の一をファラオに納め、五分の四はお前たちのものとするがよい。それを畑に蒔く種にしたり、お前たちや家族の者の食糧とし、子供たちの食糧としなさい。」 彼らは言った。「あなたさまはわたしどもの命の恩人です。御主君の御好意によって、わたしどもはファラオの奴隷にさせていただきます。」 (聖書 創世記 47:23-25 新共同訳)
奴隷と聞くと、なんだか良くない印象を受けますが、この人たちにとってその買い取ってくれた所有者は命の恩人となりました。
私たちは、イエス様の十字架によって代価を払って買い取られました。そして、私たちは、私たちを創造し、命を与えてくださり、生かしてくださっている私たちの所有者である神様に収入の十分の一をお返しします。
私たちの永遠の命の恩人である神様に感謝をし、預かったものを大切に生きていける人生は、とても素敵な人生ですね。