ヨセフさんとファラオというエジプトのトップから、家族をエジプトの地に連れてくるようにとの申し出を受けました。
イスラエルの息子たちはそのとおりにした。ヨセフは、ファラオの命令に従って、彼らに馬車を与え、また道中の食糧を与えた。ヨセフは更に、全員にそれぞれ晴れ着を与えたが、特にベニヤミンには銀三百枚と晴れ着五枚を与えた。父にも、エジプトの最良のものを積んだろば十頭と、穀物やパン、それに父の道中に必要な食糧を積んだ雌ろば十頭を贈った。(創世記 45:21-23 新共同訳)
出発にあたって、旅に必要なものは全て与えられました。そして、ヨセフさんは、旅立ちにあたって1つだけ注意事項を伝えました。
いよいよ兄弟たちを送り出すとき、出発にあたってヨセフは、「途中で、争わないでください」と言った。(創世記 45:24 新共同訳)
今はエジプトの地で予想外の出来事が立て続けに起こり、更にはヨセフさんを目の前にしている手前兄弟たちは心1つにしていました。しかし、もしかすると帰りの旅路で過去の出来事を振り返り誰が悪いという話をし始めるかもしれません。また、一番下の弟ベニヤミンさんが兄たちよりも多くのものを与えられていることに対し、昔ヨセフさんに抱いたような嫉妬や恨みという感情を抱いてしまうかもしれません。そんなことにならないようにとヨセフさんはこのたった1つの注意事項を与えたのでした。
ヨセフさんは、一連の試みを通し、兄たちがこの空白の期間でどのように変化をしてきたのか様子を伺ってきました。そして、昔の兄たちとは違うということを知ることができました。だからこそ、もう昔のような兄たちに戻ってほしくないという強い願いをこめて、「争わないでください」という言葉を伝えたのではないかと思います。
私たちは、罪人であるにも関わらず、神様から赦しを与えて頂いている存在です。その赦しには、十字架の死という大きな代償が伴いました。
しかし、もし私たちが、「赦されたからもう大丈夫。好きに生きていっていいんだ。」と言って、またもとの生活、ヨセフさんの兄たちで言うところのヨセフさんを売り飛ばした頃の恨みや憎しみに支配された生活を送ってしまうのであれば、それは神様が意図しているものとは程遠いものとなってしまいます。
神様は、私たちに赦しを与え、それを信じ受け取った私たちが争うのではなく感謝を持って歩んでいくことを願っておられます。