聖書に登場する人物たちは、皆様々な意味を持つ名前がつけられていました。それは、私たちの名前にもこのように生きていってほしいという意味が込められているように、まさに彼らの人生を表すものでした。当時は今よりも更に名前は重要なものとして考えられていました。
アブラハムさんと奥さんのサラさんも、そのような名前に大きな意味を込められていた2人でした。
この夫婦は最初からアブラハムとサラという名前ではありませんでした。彼らには元々違う名前がついていました。アブラハムさんはアブラム、サラさんはサライという名前を持って長い人生を歩んできました。
しかし、神様は、この夫婦を祝福するにあたり、彼らと契約を結ばれました。その際この2人に新たな名前を名乗るようにと告げられました。
神様はアブラムさんに言われました。
「これがあなたと結ぶわたしの契約である。あなたは多くの国民の父となる。あなたは、もはやアブラムではなく、アブラハムと名乗りなさい。あなたを多くの国民の父とするからである。わたしは、あなたをますます繁栄させ、諸国民の父とする。王となる者たちがあなたから出るであろう。」(聖書 創世記17:4∼6 新共同訳)
そして、サライさんに関してもこのように言われました。
「神はアブラハムに言われた。「あなたの妻サライは、名前をサライではなく、サラと呼びなさい。わたしは彼女を祝福し、彼女によってあなたに男の子を与えよう。わたしは彼女を祝福し、諸国民の母とする。諸国民の王となる者たちが彼女から出る。」」(聖書 創世記17:15∼16 新共同訳)
この夫婦の名前を変えてまで絶対に約束を果たすということを告げられた神様でした。そして、後にこの名前の通り神様の約束が果たされていくことになりました。