皆で散歩をしに行くということで、行き先もわからないまま前を行く人たちについて行きました。
公園らしき敷地に入り、しばらく歩くと階段を登り始めました。そのままついて登って行くと、今度は山道に入って行きました。
散歩ということで、気を抜いていましたが、結局汗だくになりながら中々登りごたえのある山道を頂上を目指して歩いているんだということに気が付きました。
頂上に辿り着いた時には、疲労感で一杯でしたが、そこから見る景色はとてもきれいなものでした。
散歩であれば、道も行き先も知らずに出発することに何の抵抗もありませんでした。しかし、人生はどうでしょうか。
聖書の中で有名な人物アブラハムさんは、ある日神様からこのように言われました。
主はアブラムに言われた。「あなたは生まれ故郷 父の家を離れて わたしが示す地に行きなさい。わたしはあなたを大いなる国民にし あなたを祝福し、あなたの名を高める 祝福の源となるように、あなたを祝福する人をわたしは祝福し あなたを呪う者をわたしは呪う。地上の氏族はすべて あなたによって祝福に入る。」(聖書 創世記12:1∼3 新共同訳)
神様は、道も行き先も言わず「わたしの示す地に行きなさい」と言われただけでした。アブラハムさんは70歳を過ぎていましたが、神様の「行きなさい」という言葉に従って住み慣れた土地を後にしました。
神様は、私たちにも「行きなさい」と言われる時があります。それは年齢がいくつであっても関係ありません。今日、その声がかかるかもしれません。アブラハムさんのように、その神様の言葉に従って旅立つ時、神様はその先に大きな祝福を用意して待っていてくださいます。