「剣を鋤に」

今年の夏過ぎから、顧問として大学のハンドベルに関わらせて頂いています。私はハンドベルをやったことがありませんので、演奏の面でのお手伝いではなく、練習にお邪魔して一緒に夕食を頂き、夕礼拝でお話をするということで関わっていました。

ハンドベルはやったことがありませんが、中学時代から友達がハンドベルで演奏する姿を間近で見てきましたので、どれだけ難しいことをしているのかということは何となく理解していました。

複数の人たちでドレミファソラシドの音階を分担して鳴らすため、ベルを鳴らすタイミングが一人でもズレてしまうと、旋律が崩れてしまいます。また、鳴らしそびれてしまうと、そこだけ音が抜けてしまうことになります。一人一人の責任がとても重い楽器だなと思いながら聴いていました。また、ピリピリした関係の人たちが演奏したら、きっとテンポを合わせるのも難しいのだろうなと思って見ていました。

しかし、皆が心を一つにし、息がピタッとあった時の演奏は、まるで一人の人が奏でているかのような素敵な音楽になります。(これらは、あくまでもハンドベルを演奏したことがない私の主観ですが。)

「主は多くの民の争いを裁き はるか遠くまでも、強い国々を戒められる。彼らは剣を打ち直して鋤とし 槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず もはや戦うことを学ばない。」(聖書 ミカ書4:3 新共同訳)

神様が、クリスマスに送って下さった独り子イエス様は、平和の君と呼ばれる方です。その方の与えてくださる平和は、争いのために持っていた武器を命の糧を得るための道具へと変えてしまうような平和です。

このクリスマスに、キリストの平和が皆様の上に豊かに注がれますようにお祈り申し上げます。