数年前のことです。「焚火で焼き芋」にハマり、夜な夜な真っ暗な中で焚火をし、畑で獲れたてのサツマイモをアルミでくるんで放り込むというのが一日の終わりの楽しみでした。
最初は、どのくらい火の中に入れておけばよいのかわからず、出してみたら半生だったということもありました。しかし、「放っておいて丸焦げになってしまった」という残念なことにだけはならないようにと、随時木の棒でツンツンしながら焼けるのを待っていました。
寒空の中で食べるホクホクの焼き芋は格別です。
「イエスは、わたしたちのために、命を捨ててくださいました。そのことによって、わたしたちは愛を知りました。」(聖書 ヨハネの手紙一3:16 新共同訳)
私たちを造った神様は、造ったまま放っておく神様ではありません。「わたしが担い、背負い、救い出す」(聖書 イザヤ書46:4 新共同訳)と言われる神様です。
神様は、今も私たちに大きな関心を持って関わって下さっています。私たちは、生活の中で中々それを感じることができないこともあります。特に、苦しみや悲しみに襲われた時はそうかもしれません。
しかし、神様は私たちに大きな関心を持っているということを“驚くべき方法”で示されました。それが、“十字架の死”でした。
「命を捨てるほどに、わたしはあなたを愛している」。私たちを造った神様は、そう言われます。
十字架に磔にされたイエス・キリストを上げてみてください。そこには、私たちを造った神様の愛が溢れ出ています。
神様は、決して私たちを放ってはおかれません。