「持っていなくても」

先週、我が家に3人の中学生男子を迎えてコーテット(男性四重唱)合宿を行いました。合宿ということで、朝から晩まで歌っているわけですが、やっぱり3食の食事は欠かせません。食べ盛りの年頃に加え、沢山声を出して歌うと体力も使いますしお腹もすきます。私は食べ盛りの時期はとっくに過ぎ去り、スーツのホックが閉まらないことに困惑している年頃ですが、一緒になって食べてしまいました。

今回は、それぞれのご家庭から沢山の差し入れを頂きました。三育フーズ食品や、北海道の新鮮なお野菜などが山ほど届きました。毎日のメニューを何にしようかと贅沢に悩みながら毎日を送りました。

夕食の準備をしていた時のことです。久々に4人分という量のお米を炊いて、お皿によそおうとした時に、“ある物”を持っていなかったことに気が付きました。

「あ、しゃもじを持っていなかった。」

「だから、今それをやり遂げなさい。進んで実行しようと思ったとおりに、自分が持っているものでやり遂げることです。進んで行う気持ちがあれば、持たないものではなく、持っているものに応じて、神に受け入れられるのです。」(聖書 コリントの信徒への手紙二8:11∼12 新共同訳)

私たちは、それぞれ神様から与えられているものがあります。時に、「自分はあれを持っていない。これも持っていない。だからできない。」と思ってしまうこともあります。

しかし、神様は、私たちに対して、「その持っていないものを何とか手に入れてきなさい」とは言われません。神様は、私たちが行おうとする時、持っているものに応じて受け入れてくださる方です。今与えられているものを持ってやり遂げましょう。

ただ、お米をよそうのはスプーンよりしゃもじの方がいいですね。