方位磁針や温度計などはあまり所持したことがありませんでした。しかし、ここ最近、鍵と一緒にキーホルダーにつけて持ち歩くようになりました。
と言っても、持ち歩いていてもほとんど見ることもありませんでした。存在すら忘れていたある日、ふと気温が気になって温度計に目をやると、中身が大変なことになっていました。
温度を指すための針が、中心から外れて全く使い物にならない状態になってしまっていました。暑くなったり寒くなったりと、最近の激しい寒暖差に耐えかねて針がモゲてしまったのかなと心配しつつ、数ヶ月も経たずに壊れてしまった温度計を直そうと小一時間振り続けていました。
どんなに振っても、針が元の位置にスポッと収まることはなく、全く気温が測れないままキーホルダーにぶら下がっている毎日です。
「手のひらにすくって海を量り 手の幅をもって天を測る者があろうか。地の塵を升で量りつくし 山々を秤にかけ 丘を天秤にかける者があろうか。主の霊を測りうる者があろうか。主の企てを知らされる者があろうか。」(聖書 イザヤ書40:12∼13 新共同訳)
私たちは自分の中に、自分基準の測りを持っています。何でもそれを基準に測ってしまいます。しかし聖書は、「その測りをもって何を正確に測ることができますか?」と問いかけています。
残念ながら、私たちの持つ自分基準の測りでは測れないものが沢山存在します。神様の造られたこの世界、そして聖書に示されている神様の愛。隣の人、そして自分のことすら正確に測ることはできません。
しかし、神様は全てをご存知で、全てを正確に測ってくださるお方です。神様の与えてくださった聖書は、壊れることのない基準です。定まらない私たちに、そのような基準が与えられているということは感謝なことですね。