小学校低学年の頃だと思います。ある日、突然親に連れられ駅に向かいました。友達数人と電車に乗せられ何処かへ運ばれて行きました。
着いた場所が何処であるかも解らず、ここで何をするのかも解りませんでした。一つだけ理解できたことは、今日は家に帰れないんだということでした。それが解った瞬間、とてつもない絶望感に襲われたことを覚えています。
今考えれば、子どもたちのお泊り教室のようなものだったと思います。しかし、何も理解しないまま突然その場所におかれたら、どんなに楽しいレクリエーションも上の空になるわけです。
そこに何泊したのかも覚えていませんが、今から家に帰れると知った時の喜びは今でもハッキリと覚えています。(勿論、その場所が酷い場所だったわけではありません。)
聖書にはアブラハム、イサク、ヤコブなど多くの有名な人たちが登場しますが、彼らが持っていた信仰について、聖書はこのように記しています。
「この人たちは皆、信仰を抱いて死にました。約束されたものを手に入れませんでしたが、はるかにそれを見て喜びの声をあげ、自分たちが地上ではよそ者であり、仮住まいの者であることを公に言い表したのです。」(ヘブライ人への手紙11:13 新共同訳)
確かに彼らはこの地上で生活を送っていましたが、今は仮住まいであり、本当の故郷が別に用意されていると確信していました。その住まいとは、「更にまさった故郷、すなわち天の故郷」であると聖書は言っています。
天の故郷は神様が準備をしてくださる都です。そこは、あの日、喜び勇んで家にたどり着いたら家が火事で焼け焦げてしまっていた私のような経験をすることは絶対にない、安心して帰れる故郷です。