本心に立ちかえる時 / “When he came to himself”

新約聖書ルカによる福音書15章に書かれている3つの例え話には、共通のテーマがあります。それは「失われたものを尋ね出して救う」というテーマです。有名な「放蕩息子のたとえ」の中で、父親の財産を受け取った弟は家を飛び出して遠い国へ行き、放蕩の限りを尽くし、すべてを使い果たしてしまいました。悪いことは重なるもので、ちょうどその時ひどい飢饉がやってきて、彼は食べるものにも窮し始めてついには豚のえさを食べたいと思うほどに追い詰められてしまいました。その時の様子が次のように書かれています。

そこで彼は本心に立ちかえって言った、『父のところには食物のあり余っている雇人が大ぜいいるのに、わたしはここで飢えて死のうとしている。立って、父のところへ帰って、こう言おう、父よ、わたしは天に対しても、あなたにむかっても、罪を犯しました。

(新約聖書 ルカによる福音書15:17,18 口語訳)

彼が「本心に立ちかえっ」たのは、遠く父の家を離れ、すべての財産と友人、食べるものまでも失ったときでした。英語の聖書ではこの箇所が“when he came to himself”(彼が彼自身に戻ったとき)と書かれています。私はこの物語を読むときに、この弟だけが特別に愚かな人間だったとは思えません。彼と同じように、大切な何かを見失っていた私たちが「本心に立ちかえる」のは、何かを失ったときなのではないかと思うからです。

私たちが何かを失って途方に暮れる時、それは「本当の自分に立ち帰る」機会なのかもしれません。この父親が息子を諦めずに待っていたように、父なる神様も私たちが本来あるべき場所に帰って来るのを、今日も忍耐強く待ち続けておられるのです。

 

※高尾山頂で富士山をバックに(2019年1月21日撮影)。

There are three parables in Luke 15. They have a common theme. The theme is that God is looking for a lost one. “The Prodigal son” is very famous parable. The prodigal son received huge money from his father and he went to a far country. Then he wasted all the money and time. When he had spent everything, a severe famine came to the country, so he couldn’t get food.

 “But when he came to himself, he said, ‘How many of my father’s hired servants have more than enough bread, but I perish here with hunger! I will arise and go to my father, and I will say to him, “Father, I have sinned against heaven and before you.(Luke 15:17,18 ESV)

When he lost everything so he was able to come to himself. I think that stupid person is not only the son but also us. Because we often do not come to ourselves until we lose something important. When we lose something, it may be a good opportunity to come to ourselves.

As the father waited without giving up his son, God is waiting for us to return.