広辞苑で「盲点」という言葉を調べてみると、「網膜で、機能上見えない部分。人の見落としがちなところ」と書かれていました。確かに私たちの目や心は、ある一定の物事を認識していますが、様々な理由で見落としてしまっていることもたくさんあります。
「当たり前」と思い、感謝もせずに過ごしていた日々の小さな出来事のひとつひとつが、どんなに幸せなことだったかを後になってから気づかされることがあります。
毎晩ぐっすり眠れることのありがたさを実感したのは、眠れぬ苦しい夜を体験したときでした。
使徒パウロは、エフェソ教会に向かって彼の祈りを書き送りました。
どうか、わたしたちの主イエス・キリストの神、栄光の源である御父が、あなたがたに知恵と啓示との霊を与え、神を深く知ることができるようにし、心の目を開いてくださるように。そして、神の招きによってどのような希望が与えられているか、聖なる者たちの受け継ぐものがどれほど豊かな栄光に輝いているか悟らせてくださるように。また、わたしたち信仰者に対して絶大な働きをなさる神の力が、どれほど大きなものであるか、悟らせてくださるように。
(新約聖書 エフェソ1:17~19 新共同訳)
心の目が開かれなければ、神様が私たちに与えてくださった祝福の数々の素晴らしさに気づくことは出来ないのだとパウロは言います。私はクリスチャンとして、神様を知っているつもりでいたけれど、本当に神様を知っているのだろうか?と自問させられました。もっと深く神様を知る者に、そして「絶大な働きをなさる神の力」を本気で信じる者になりたいと願っています。
※久慈浜海水浴場と日立灯台(撮影:1月3日)
There is a “blind spot” in our eyes and mind. Although I am surely watching “it”, I often do not notice “it”.
We often think take everything (foods, clothes, house, health etc) for granted. However, when I couldn’t sleep well, I realized the importance of sleep.
Paul said in a letter to Ephesus church:
I keep asking that the God of our Lord Jesus Christ, the glorious Father, may give you the Spirit of wisdom and revelation, so that you may know him better. I pray that the eyes of your heart may be enlightened in order that you may know the hope to which he has called you, the riches of his glorious inheritance in his holy people, and his incomparably great power for us who believe. (Ephesians 1:17-19 NIV)
He said that if our mind’s eye are closed, we can’t know God deeply. His words are asking me. “Is your mind’s eye open?” “Do you really know God?”
I want to know God deeply more, and I want to believe His limitless power.