流れのほとりに植えられた木

梅雨の季節になりましたが、この季節にも楽しみはあります。私は自宅近くの公園に咲く菖蒲の花を毎年楽しみにしています。今年も見事な花が咲きました。山から湧き出た水が水車を動かし、その水が菖蒲田を潤しています。詩篇の言葉が思い出されます。


悪しき者のはかりごとに歩まず、罪びとの道に立たず、

あざける者の座にすわらぬ人はさいわいである。

このような人は主のおきてをよろこび、昼も夜もそのおきてを思う。

このような人は流れのほとりに植えられた木の

時が来ると実を結び、その葉もしぼまないように、そのなすところは皆栄える。

(旧約聖書 詩編1:1~3 口語訳)


この聖句は私たちにいくつかの大切なことを教えています。

  • 「流れのほとりに植えられた木」…わたしはどこに根を下ろしているか?

私たちは色々なものを頼りにして生きています。聖書は私たちに命の水の源である、神に根を下ろして生きよと勧めています。一時的なもの、本当の命をもたらさないものに頼り、根を下ろしてはいないでしょうか。

  • 「時が来ると」…私は神様の「時」を待っているか?

もしも私たちが神様に根を下ろしているならば、「時が来ると」必ず実を結ぶ、と聖書は約束しています。私たちは自分が願ったときと方法で実がみのる(結果が出る)ことを願います。しかし、神様は「時」(計画)を持っておられます。

私たちの人生には、真冬の凍えるような寒さの日や、照りつける太陽に苦しめられる日があります。しかし、もしも私が正しい場所に根を下ろしているならば、目の前の出来事に一喜一憂する必要はないのかもしれません。

セブンスデー・アドベンチスト甲府キリスト教会 牧師 伊藤 滋

※写真は片倉城址公園の菖蒲です。