神を畏れる2人の助産婦

助産婦はいずれも神を畏れていたので、エジプト王が命じたとおりにはせず、男の子も生かしておいた。

(旧約聖書 出エジプト記1:17 新共同訳)


エジプトの国に寄留していたヘブライ人は、当初70名ばかりでしたが、時が過ぎるにつれてその数が増えていきました。エジプト王はそんな彼らを警戒し、ヘブライ人の増加を食い止めようとしました。王は当初、厳しい強制労働によってヘブライ人たちを虐待しましたが、「虐待されればされるほど彼らは増え広がった」(同12節)と書かれています。王が次に打った手は、ヘブライ人助産婦たちに命じて、生まれてくるヘブライ人の男の子を皆殺しにするという恐ろしい計画でした。

当時のエジプトで、ヘブライ人助産婦たちが王のこの命令に従わないということは、彼女たち自身の命が危険にさらされることを意味しました。しかし彼女たちは王の命令には従わず、子どもたちの命を救いました。

彼女たちをして、王の命令に背かせたものは一体何だったのでしょうか?聖書記者はその理由を「助産婦は神を畏れていたので」と書いています(17~21節の間に同様の表現が2回繰り返されて

います)。

神を畏れて生き、働く女性が2人いたことで、多くの子どもたちの命が救われました。それだけではありません。もしも彼女たちがここで王の命令に従っていたなら、モーセは出エジプトのリーダーとしてその大切な役割につくこともなかったことでしょう。

私たち一人一人は社会の中で小さな存在です。しかし、心の底から神を信じ、神を畏れて生きる人がそこにいるならば、たとえそれが少人数であったとしても何かが変わるはずです。この2人の助産婦の記録を読むときに、「あなたは神を畏れて生きていますか?」と彼女たちに問いかけられているような気持ちになります。あなたは神を畏れて生きていますか?

セブンスデー・アドベンチスト甲府キリスト教会 牧師 伊藤 滋

※写真は東京衛生病院です。