聖霊によらなければ、だれも「イエスは主である」とは言えないのです。
(新約聖書 コリントの信徒への手紙Ⅰ 12:3 新共同訳)
5月20日、我が家の三男が北浦三育教会でバプテスマを受けました。息子が神様のお導きに応えて自分の気持ちを言い表し、イエス様を自分の救い主と信じる決心が出来たことが本当に嬉しかったです。
先週の聖書研究ガイドの中に次の文章がありました。
「ペトロは主に触発されて、イエスをメシアと宣言しましたが(マタイ16:16,17)、間違いなく、彼はそのことの意味を十分には分かっていませんでした。メシアとはだれなのか、メシアは何を成し遂げるのか、そしておそらく最も重要なことに、メシアはそれをどのように成し遂げるのか、ペトロは明確には理解していませんでした。」
(安息日学校聖書研究ガイド『わたしの羊を飼いなさい』ペトロの手紙Ⅰ・Ⅱ 57ページ)
ペテロは「あなたはメシア、生ける神の子です」と信仰告白をしました。それに対してイエス様は「あなたは幸いだ。あなたにこのことを現わしたのは、天の父なのだ」と言われました(マタイ16章)。私たちの「イエスは主である」との信仰告白は、自分の力によるのではなく、父なる神様と聖霊の働きによるのだと聖書は教えています。
ペテロがこの告白をした後にも、様々な失敗を繰り返したように、私たちも失敗をします。私たちのイエス様に対する信仰は、不十分で不完全なものです。しかしそのような信仰を見てイエス様は「あなたは幸いだ」と受け入れてくださる。私はそのイエス様の言葉に救われる思いがします。イエス様を主とする人生を選び、どんな失敗をしてしまったとしてもそこから決して離れずに歩み続けたい、我が子のバプテスマに際して改めてそう思いました。
セブンスデー・アドベンチスト甲府キリスト教会 牧師 伊藤 滋