神様からの手紙

電子メールやスマートフォンのアプリなどが普及して、手紙を書いたり受け取ったりすることが少なくなってきました。確かに電子メールは遠くに離れた人と、瞬時に情報をやりとり出来て便利なのですが、そんな時代だからこそ手紙の価値や重みが一層増しているのではないかと思います。

これまでにどんな手紙を書き、受け取って来たでしょうか?

心励まされる手紙、ラブレター、胃がキリキリと痛くなるようなお叱りの手紙…。様々な種類の手紙があります。どんな手紙であれ、直筆で書かれた手紙には、書き手の思いがずっしりと込められています。聖書には次のように書かれています。


 わたしたちの推薦状は、あなたがた自身です。それは、わたしたちの心に書かれており、すべての人々から知られ、読まれています。あなたがたは、キリストがわたしたちを用いてお書きになった手紙として公にされています。墨ではなく生ける神の霊によって、石の板ではなく人の心の板に、書きつけられた手紙です。

(新約聖書 コリントの信徒への手紙2 3:2,3 新共同訳)


「神様からのすべての人たちへの手紙」=「あなたがた(クリスチャン)」だと聖書は言うのです。誰かが私を見ることで「神様ってこんなもんか」って見切られてしまったら?と思うと不安になります。しかし、神様が私を「手紙」として用いてくださるというのは身に余る光栄だとも感じます。神様が書かれた手紙であるならば、文責は神様にあります。

春になって植物が一斉に目を覚ましたかのように花を咲かせ始めました。花々が春のおとずれを知らせる神様からの手紙であるように、私たちも誰かに神様の愛とあたたかさを伝える手紙でありたいと願っています。

セブンスデー・アドベンチスト甲府キリスト教会 牧師 伊藤 滋