今週、街を歩いていると袴姿の女子大生を見かけました。「卒業式シーズンなんだなあ」と実感しました。
天が下のすべての事には季節があり、すべてのわざには時がある。生るるに時があり、死ぬるに時があり、植えるに時があり、植えたものを抜くに時があり、
(旧約聖書 伝道の書3:1,2 口語訳)
「卒業」とは、「植えたものを抜く」ような出来事かもしれません。その場所に植えられて、定められた時間の中でそこにしっかりと根を下ろして成長して来た人が、そこでのすべての学びを終えて次のステップに進んで行く。それはもちろんおめでたいことではあるのですが、不安や寂しさなどの痛みが伴うものでもあります。
いままで自分が慣れ親しんだ場所から巣立つ当人にとっては期待と不安の入り混じる瞬間であり、またその人を送り出し、見送る人たちにとっても、いままでそこにいた人を送り出す寂しさと戦わなければなりません。
厳しい冬の寒さが終わり、様々な生き物が活動を開始し始めるこの季節に私たちはこの節目の時間を迎えます。抜かれた植物は次の場所で根を張り、さらに成長して実を実らせるでしょう。そして抜かれた場所にまた新しい芽が顔を出します。出会いと別れが行き交うこの季節に、神様のこの言葉を約束として覚えたいと思います。
神のなされることは皆その時にかなって美しい。神はまた人の心に永遠を思う思いを授けられた。それでもなお、人は神のなされるわざを初めから終りまで見きわめることはできない。
(同 伝道の書3:11)
※写真は東京三育小学校の卒業式と、相模原市緑区の小原宿付近の風景です。
セブンスデー・アドベンチスト甲府キリスト教会 牧師 伊藤 滋