また、イエスは失望せずに常に祈るべきことを、人々に譬で教えられた。
(新約聖書 ルカによる福音書18:1 口語訳)
この聖書の言葉は私たちに、時として祈りには失望が付きまとうものであることを教えています。私たちが失望させられるのはどんなときでしょうか?多くの場合、それは期待が裏切られたとき、自分が望み、予想していた結果が得られなかったときではないでしょうか。
イエス様が「失望せずに常に祈るべきことを教え」るために人々に語られたのは、「やもめと裁判官のたとえ」というたとえ話でした。ひどい裁判官がいました。最終的に彼は、やもめの訴えを聞き入れ、彼女のために裁判をするのですが、その理由は「しつこくてかなわないから」というものでした。「ひどい裁判官であっても、諦めずに訴え続ける人の声には耳を傾ける。ましてや、愛の神が、あなたがたの心からの祈りに答えないはずはないだろう」とイエス様は言われるのです。
聖書は、「すべて彼を信じる者は、失望に終ることがない」と言っている。
(新約聖書 ローマ人への手紙10:11 口語訳)
私たちの教会では、現在「10日間の祈り」の集会を持っています。私たち自身の中には、そして私たちの周りにもたくさんの祈りの課題があります。祈りなしには希望を見いだせないような苦しみがそこにあることを私たちは知っています。祈っても自分が期待している答えがなかなか得られないとき、私たちは失望しがちです。しかし、神様を信じること、神様に祈ることを諦めないで祈り続けるものでありたいと願っています。私たちは一人では難しいことも、仲間と共に励まし合うことで続けることが出来ます。今週私はこの集会で、何度も励まされました。あなたもこの「10日間の祈り」に加わってみませんか?
セブンスデー・アドベンチスト甲府キリスト教会 牧師 伊藤 滋
※写真は昨年11月、韓国チェジュ島のリーダーシップトレーニングセンターで。