言葉の力

学生時代、「どうせ将来英語の教師になるわけじゃないんだから」と、まともに英語の勉強をしませんでした。その結果、学生時代を通じて英語は苦手科目でした。

神学生のころ、「神学書講読」(英文の神学書を読む)というクラスがありました。単位を取るために必死で勉強しましたが、結果は保留でした。担当の先生のところに相談に行くと、「君が単位を取るためには、同じ神学科で学んでいる英語が得意な○○さんに毎月月謝を払って英語のレッスンを受けなさい」と言われました。それ以外に方法はない!と言うのです。正直に言いますと、そのときは屈辱的な気分だったのですが、卒業するためにはそんなことは言っていられません。何人かのクラスメートと共に、特別レッスンを受けることになりました。

ある日、その英語の先生から言われました。

「君は、やればできるよ!英語の才能があると思う。やらなかったらもったいないよ!」

彼が本気でそう思っていたのか、あるいは私を励ますためにそう言ったのかは分かりません。しかし、私にとってこの言葉は衝撃的な言葉でした。あの言葉が私の心の隅に残り続け、今回「この英語の研修に参加してみたい!」という気持ちになれたのだと思っています。言葉には力があります。人を励まし、後押しする力です。


だから、今それをやり遂げなさい。進んで実行しようと思ったとおりに、自分が持っているものでやり遂げることです。進んで行う気持があれば、持たないものではなく、持っているものに応じて、神に受け入れられるのです。

(新約聖書 Ⅱコリント8:11,12 新共同訳)


20161217%e8%a8%80%e8%91%89%e3%81%ae%e5%8a%9bこれは私が大好きな聖書の言葉です。自分が何かを持っていないことを嘆くのではなく、自分に与えられているもので何が出来るのかを考える人でありたいと願っています。

セブンスデー・アドベンチスト甲府キリスト教会 牧師 伊藤 滋

※韓国での研修でルームメートだった李牧師との思い出の一コマです。