先々週の記事に車が故障したことを書きました。あの後、車の修理は完了し、何不自由なく走りまわることが出来るようになったはず…でしたが、水曜日の夕方、車のエンジンをかけようとすると、前回と同じような不具合が発生し、エンジンがかからなくなってしまいました。しばらく時間をおくとエンジンがかかったので、何とか自力で修理工場に持っていくことが出来ました。「何で2週間の間に2回も車が故障するんだ!?」とつぶやきながら…。
「神様、なぜですか?どうしてこんなことが起きるのですか?」
古今東西を問わず、苦しみの中から人間が神様に発し続けてきた問いです。
今期、私たちの教会では旧約聖書のヨブ記を学んでいます。今週のテキストにこのような文章がありました。
私たちは…ヨブのような「良い」人がなぜこの世で苦しむのかを探り続けています。しかし、ヨブ記とほかの本との決定的な違いは、ヨブ記が苦しみについて人間的な視点に立っていないという点です。むしろ、ヨブ記は聖書なので、私たちはこの問題に関する神の視点を見ます。
(『安息日学校聖書研究ガイド ヨブ記』46ページより)
あなたは神を究めることができるか。全能者の極みまでも見ることができるか。
(旧約聖書 ヨブ記11:7 新共同訳聖書)
これは友人ツォアルがヨブに語った言葉です。苦しみの渦中にある人に対してはいささか手厳しい言葉ではありますが、「人間はすべてを見通すことはできないのだ」ということを教えてくれる言葉であるようにも思います。
車の故障などとは比較にならないような苦難や悲しみの中で、それでもひたむきに今日という日を生きておられる方々に、神様からの希望が注がれますように。
セブンスデー・アドベンチスト甲府キリスト教会 牧師 伊藤 滋
※今週出会った風景:山梨県北杜市大泉町付近からの八ヶ岳です。