お腹がペコペコで帰宅した時に食卓に用意されている、熱々のご飯。
「近頃野菜不足だな~」と感じていた時に食べる、新鮮な野菜サラダ。
身も心も冷え切った時に食べる、具だくさんのみそ汁。
思わず「ぼくの身体が欲していたのはこれです!」と声をあげたくなる、嬉しい瞬間です。
聖書に「人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言で生きるものである」(マタイ4:4)と書かれていますが、食べ物だけでなく、その時の自分に必要な言葉が聖書から与えられた時、思わず「ぼくの魂が欲していたのはこれです!」と声をあげたくなる、嬉しい瞬間です。
不安でどうしようもない気持ちのときに与えられる、あたたかい励ましの言葉。
自分で自分の過ちに気付けていないようなときに与えられる、鋭い譴責の言葉。
ボロボロに落ち込んで立ち上がる力を失っている時には、心の燃料タンクに燃料が注がれるような力のある言葉が聖書から与えられるという経験を、これまで何度もしてきました。
「神様は私の心に必要なものを、私自身よりもご存じなんだなあ」と、嬉しくも厳粛な思いにさせられます。
神の言は生きていて、力があり、もろ刃のつるぎよりも鋭くて、精神と霊魂と、関節と骨髄とを切り離すまでに刺しとおして、心の思いと志とを見分けることができる。そして、神のみまえには、あらわでない被造物はひとつもなく、すべてのものは、神の目には裸であり、あらわにされているのである。
(新約聖書 ヘブル4:12,13 口語訳)
「食欲の秋」そして「読書の秋」です。「命のパン」と言われる聖書の言葉に親しんでみませんか?
セブンスデー・アドベンチスト甲府キリスト教会 牧師 伊藤 滋
※写真は、信仰の大先輩から譲り受けた文語訳聖書です。