テストを受ける

20年以上前の学生時代以来でしょうか?今週、本当に久しぶりにテストを受けました。

英語の研修を受けるにあたって必要なテストだったのですが、ドキドキしながら試験会場に行き、背中からは身体に悪そうな冷や汗を流しながら何とか終えることが出来ました。

英語の「テスト」を受けたのは久しぶりのことでしたが、考えてみると私たちが生きているということは、日々何らかの選びを迫られており、私たちの日常に起きる様々な出来事が「人生のテスト」と言えるのではないでしょうか?旧約聖書の詩篇には、次のように書かれています。

主よ、わたしをためし、わたしを試み、わたしの心と思いとを練りきよめてください。

(旧約聖書 詩篇26:2 口語訳)

「テスト」がドキドキするのは、それを受けることによって自分がどの程度の実力なのかがはっきりする(自分の本当の姿が明らかにされる)からです。先の詩篇の言葉によれば、「神様に試される(テストされる)」ことにより、私たちは練り清められるのだということです。

もしもそうだとするならば、私のように何かのテストを受けるときだけ真剣になるのではなく、当たり前のように過ぎていく一日一日を、大切なテストに臨んでいるかのようにひたむきに生きることが必要なのではないかと考えさせられました。

愛する者たちよ。あなたがたを試みるために降りかかって来る火のような試錬を、何か思いがけないことが起ったかのように驚きあやしむことなく、むしろ、キリストの苦しみにあずかればあずかるほど、喜ぶがよい。それは、キリストの栄光が現れる際に、よろこびにあふれるためである。

(新約聖書 ペテロ第一の手紙4:12,13 口語訳)

セブンスデー・アドベンチスト甲府キリスト教会 牧師 伊藤 滋

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※写真は、2012年10月 韓国再臨祈祷院にて。