「季節の変わり目です。皆さん体調を崩さないようにお気をつけください。」などと言いながら、数日前から喉が痛み、頭が重くなり、見事に風邪をひいてしまいました。
ここしばらくの間、非常に体調が良かったのですが、久しぶりに風邪をひいてみて、「病気で伏していることはこんなに苦しいことだったんだ」と痛感しました。
自分の体調がすぐれているとき、病や痛みの中にある人への共感度や理解度は低下していたように思います。眠りたいのに、なかなか眠れないことの不安。身体を横にして同じ姿勢で休んでいることで、腰や身体の節々が痛むことの苦痛…等など、かつて知っていたはずの痛みを忘れている自分に気づかされました。
「何日か休んでいればじきに回復する」と分かっていても、風邪の症状が強く出ているときは不安な気持ちになるものです。ましてや長い期間、病に伏している方の苦しみと不安はどれほど大きく、深いものでしょうか。
私の悩みとさすらいの思い出は、苦よもぎと苦味だけ。
私のたましいは、ただこれを思い出しては沈む。
私はこれを思い返す。それゆえ、私は待ち望む。
私たちが滅びうせなかったのは、主の恵みによる。主のあわれみは尽きないからだ。
(旧約聖書 哀歌3:19~22 新改訳)
苦しみを思い返すことは辛いことです。しかし、苦しみを思い出すことで、神の恵みを心に刻み、神の救いを待ち望むことが出来るのだと聖書の言葉は教えています。
人間は忘れる生き物です。過去の苦しみのすべてを鮮明に覚えていたら辛すぎて生きていけなくなってしまうでしょう。しかし、苦しみを繰り返し思い出し、心に刻むことで隣人の痛みに敏感になり、また神の恵みの素晴らしさを深く理解できるのだということを覚えていたいと思うのです。
セブンスデー・アドベンチスト甲府キリスト教会 牧師 伊藤 滋