旧約聖書・創世記に登場するヨセフは、山あり谷ありの生涯を送りました。父ヤコブの深い愛情を受けて育った少年時代から一転して、エジプトに奴隷として売られます。売られた先の家で主人に能力を認められ、家全体の管理を任せられますが、濡れ衣を着せられ、投獄されてしまいます。獄の中で夢の説き明かしをしたことで、後に王様の夢の説き明かしをすることになり、結果、エジプトの総理大臣になったヨセフは、大飢饉からエジプトの国全体を救いました。
創世記39章には、エジプトに連れて来られたヨセフが主人の家で働いた様子と、投獄された様子が描かれています。この章には、「主が共におられた」という言葉が4回出てきます。2回は、ヨセフが主人の家で働いた時のこと、そしてあとの2回はヨセフが投獄された場面です。
主がヨセフと共におられたので、彼はうまく事を運んだ。
(旧約聖書 創世記39:2 新共同訳)
神様は、ヨセフが父の家で愛情を受けていたときだけでなく、奴隷として売られたエジプトでも、投獄された牢屋の中でも、彼と共におられたのです。
物事が順調に進む時、私たちは「神様が共にいてくださった」と感謝します。しかし、物事がうまく進んでいるように感じられる時だけでなく、苦しみの時、厳しい試練の時、濡れ衣を着せられて「なぜ私がこんな目に遭うのか」とつぶやきたくなる時にこそ、神様は私たちと共にいてくださるのだと、神様はヨセフの生涯を通して約束してくださっています。苦しみや悲しみの最中にあるときにも、「共にいてくださる神」が、あなたに必要な慰めと力を与えてくださいますように。
セブンスデー・アドベンチスト甲府キリスト教会
牧師 伊藤 滋
※キバナコスモスと秋晴れの空(2015年10月 陵南公園近くで)。