ある本を読んでいたとき、思わず「心から納得!」とうなずかされたことがありました。それは「心のタンク」について書かれた以下の文章でした。
私たちは皆、心のタンクを持っています。タンクのてっぺんには入り口があり、底の方には出口があります。そして、ある種の活動はタンクの中身を減らし、またある種の活動はタンクの中身を満たします。私たちが行っている行動の中には、力を与えてくれるものと、力を奪っていくものがあるのです。…あなたを満たしてくれるものは何でしょう。あなたを疲れさせるものは何でしょう。
(ウェイン・コデイロ『あなたが燃え尽きてしまう前に』110ページ)
私たちは慌ただしく過ぎる日常の中で、自分の心のタンクがいつの間にか目減りして、カラカラになっていることに気づかずに過ごしてしまうことがないでしょうか。それでも無理して走り続けるといつか燃え尽きてしまいます。著者はそのような状態を「オイル交換をせずに車を何年も乗り続けるようなもの」(前掲書112ページ)と言っています。
私は神様がつくられた自然の中で身体を動かしていると、汗と一緒に心の中から毒素が放出されていくような気分になります。山歩きをして麓に帰って来るころには、心地よい疲労感とともに心のタンクが満たされているのを実感します。人それぞれの心のタンクの満たし方があると思いますが、聖書は「神様こそが『生ける水の源』である」と教えています。いつも神様につながって心のタンクを満たしていただきたいものです。
まことに、わが民は二つの悪を行った。生ける水の源であるわたしを捨てて/無用の水溜めを掘った。水をためることのできない/こわれた水溜めを。
(旧約聖書 イザヤ2:13 新共同訳)
セブンスデー・アドベンチスト甲府キリスト教会 牧師 伊藤 滋
※写真は梅雨の中休みの高尾山頂です。