荒れ野よ、荒れ地よ、喜び躍れ/砂漠よ、喜び、花を咲かせよ
(旧約聖書 イザヤ書35:1 新共同訳)
楽しみにしてきたことが実現すると嬉しいものです。先週そんな嬉しいことがありました。今年も百合の花がようやく咲いたのです。しばらく前からつぼみになっていたのですが、なかなか花が開きません。思わず、カッターで切れ目を入れてしまおうかとも思いましたが、花が自然に花開くときを待つことにしました。先週の金曜の朝、一つめの花が開くと、あとは次々に見事な花が咲きました。
コツコツと地道な努力を積み重ねて来た人が実力を発揮し始めるとき、「あの人の才能が開花した」と言われます。
百合の花も、私たち人間の努力も、すぐにきれいな花を咲かせるわけではありません。厳しい冬の季節を経て、春になって芽を出し、少しずつ成長して、ようやくこの時期に花開くのです。
美しい百合の花が咲くこの季節に、花が開くまでの目立たない時間の大切さを心に留めたいと思います。その下積みの時間があってこそ、美しい花が開くのですから。
偉人の到達した高さは
一足飛びに達し得たものではない
かれらは、仲間が眠っている間に
ほねおって夜道を登っていったのだ
足の下にいろいろなことを踏まえ
良いものや益になるものを習得し
高慢をしりぞけ、欲望を殺し
刻々に立ち現れる悪を征服して
われわれは立ち上がるのだ
その場かぎりで現れては消える
日々のできごとやすべての平凡な事がらや
歓喜や不満など
それはすべて上へ登る階段なのだ
(エレン・ホワイト『教育』より)
セブンスデー・アドベンチスト甲府キリスト教会 牧師 伊藤 滋