今年も梅雨の季節になりました。人間とは贅沢なもので、雨が続けば「いいかげん晴れて欲しい、、、。」とつぶやき、真夏のような太陽の日差しがやってくると「そろそろお湿りが欲しい」とこぼします。
先日ニュースで報じられていましたが、今年は記録的な少雪と5月が少雨だったために、水源地のダムの貯水量が例年よりもかなり少なく、取水制限が実施されることが検討されているということです。
雨や雪が続くと「勘弁してほしいなあ~」と愚痴をこぼしていましたが、あの雨や雪が私たちの生活を支える命の水になっているのです。
このニュースを見ながら、自分に必要なものが与えられているのに、それを感謝することもせず、つぶやいてしまうようなことが他にもなかっただろうか?と考えさせられました。
「なぜこんな試練に遭わなければならないのか」
「こんな経験に何の意味があるのか」…等など。
そんな気持ちにさせられる辛い出来事にも、後にならなければ分からない大切な意味や、神様のご計画が隠されているのかもしれません。
わたしの思いは、あなたたちの思いと異なり/わたしの道はあなたたちの道と異なると/主は言われる。
天が地を高く超えているように/わたしの道は、あなたたちの道を/わたしの思いは/あなたたちの思いを、高く超えている。
雨も雪も、ひとたび天から降れば/むなしく天に戻ることはない。それは大地を潤し、芽を出させ、生い茂らせ/種蒔く人には種を与え/食べる人には糧を与える。
そのように、わたしの口から出るわたしの言葉も/むなしくは、わたしのもとに戻らない。それはわたしの望むことを成し遂げ/わたしが与えた使命を必ず果たす。
(旧約聖書 イザヤ55:8~11 新共同訳)
容赦なく降り続く雨や雪のような試練も、決して無駄になることがないばかりか、私たちの人生に潤いを与え、実りをもたらす恵みになるのだという神様の約束です。
セブンスデー・アドベンチスト甲府キリスト教会 牧師 伊藤 滋
※写真は、片倉城跡公園の菖蒲田です。数週間前よりも花が開きました。