岩の上に家を建てる人

以前働いていた小学校の同窓会に出席させていただきました。十数年ぶりに会ったかつての小学生たちは、当時の面影を残した笑顔と、しかしそれぞれに立派に成長した頼もしい姿を見せてくれました。一緒に働いていた先生方、教え子たち、保護者の方々も集まって思い出話に花を咲かせたり、お互いの近況報告を聞いたりと、楽しく有意義な時間を過ごすことができました。

小学生だった当時と一見変わらないかのように見える笑顔の裏には、人知れず流した涙や、その場では語ることのできないような苦労があったことでしょう。今も苦しみの渦中にある、という人もいたかもしれません。小学生だった彼らと一緒に学んだイエス様のたとえ話を、もう一度みんなで一緒に読みました。

「そこで、わたしのこれらの言葉を聞いて行う者は皆、岩の上に自分の家を建てた賢い人に似ている。雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家を襲っても、倒れなかった。岩を土台としていたからである。わたしのこれらの言葉を聞くだけで行わない者は皆、砂の上に家を建てた愚かな人に似ている。雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家に襲いかかると、倒れて、その倒れ方がひどかった。」

(新約聖書 マタイによる福音書7:24~27 新共同訳)

どんな土台の家も、平時にはその違いは分かりません。しかし大雨が降り、土台が揺さぶられるような事態が起きたときに、両者の違いがはっきりするのだとこのたとえ話は教えています。

神様を信じているからと言って、苦しみに遭わない訳ではありません。しかし、人生の荒波の中にあっても揺らぐことのない、確かな土台が何であるかを知っている人は幸いです。

同窓会で再会した一人一人が、「岩の上に家を建てる」人生を歩んで欲しい、と祈るとともに、自分自身が何を土台として生きているのか、もう一度考えさせられる機会となりました。

セブンスデー・アドベンチスト甲府キリスト教会 牧師 伊藤 滋20160507岩の上に家を建てる人