本気で向き合ってくれた先生

私が小学校6年生の時の担任は、とても厳しい先生でした。こっぴどく叱られたことが数えきれないほどありました。3年生のときに転校してきて卒業までの4年間の内、2年間はこの先生が担任でした。

毎朝の朝の会の時には、教室に「ピリッ」とした空気が漂います。しかし先生は、ただ厳しいだけではなく、遊ぶ時には児童と一緒に思いっきり遊び、楽しい思い出もたくさんできました。

さて、卒業式当日のことです。いつものように張りつめた空気で朝の会が始まりました。先生からの最後の言葉を、みんないつもよりさらに真剣に耳を傾けました。一通りお話しが終わった後、「おれもお前たちと一緒に卒業したいよ…。」と言って先生が男泣きに泣きながら、私たちとの別れを惜しんでくださいました。

あれから30年以上過ぎましたが、私たちの卒業にあたって先生が流された涙を忘れることができません。卒業後何年かたって、高校生の時、友だちと一緒にこの先生を訪ねると、「今日は職員室の他の先生たちに『これから教え子たちが遊びに来るんだよ』って思いっきり自慢してきたよ」と嬉しそうに話してくださいました。

人が「自分は愛されている」と感じるのはどんな場面でしょうか?

やさしくされたり、何か高価なものをもらったときにそう感じるだけでなく、厳しくも本気で向き合ってもらうときに感じられる愛があるのだと、この先生を思い出すときに強く感じます。

「本気の思い」は、確かに伝わっていくのです。

イエスは、わたしたちのために、命を捨ててくださいました。そのことによって、わたしたちは愛を知りました。

(新約聖書 ヨハネの第一の手紙3:16 新共同訳)

イエス・キリストは、これ以上ないくらい「本気」で、私たちを愛してくださったと聖書は教えています。私たちは今、イエス・キリストの「本気の思い」を感じ、受け取っているでしょうか。

セブンスデー・アドベンチスト甲府キリスト教会 牧師 伊藤 滋20160430本気で向き合ってくれた先生

※写真は高尾山口から六号路登山口の間に咲くシャガの花です。