あなたの祈りと施しは、神の前に届き、覚えられた。
(新約聖書 使徒言行録10:4 新共同訳)
先日、嬉しいことがありました。しばらく連絡を取ることが出来なかった知人と再会することが出来たのです。「どうしているかなあ、元気にしているかなあ…。」
その方のことがずっと気になりながら祈っていました。しかし、2年ほど連絡もつかず、会うこともなかったので、いつしか「この祈りを神様は聞いておられるのだろうか?祈っていても状況は変わらないかもしれない。会えないのだから、状況が変わってもそれを知ることも出来ないじゃないか」と、祈り続けることを諦めてしまっていました。
そんなときに、ふとしたことからその方と再会することが出来たのです。しかも、2年前に会ったときよりも元気そうで「あなたのことをずっとお祈りしていましたよ」と言われるのです。
祈ることを諦めていた自分が恥ずかしく、申し訳ない気持ちになりました。神様は私の細々とした祈りを覚え、応えて下さったのです。状況がどうであったとしても、私たちの小さな祈りを確かに聞き、覚えてくださるお方がいる。そのことを心に刻み、祈り続ける者でありたいと強く思いました。
いま、九州地方で起きた大地震で、多くの方が傷つき、不安と悲しみの中で不自由な生活を余儀なくされています。「こんな大災害の中で、自分がささげる祈りに何の意味があるのだろうか?」「祈ったところで状況が少しでも好転するのだろうか…。」そんな疑念が胸に湧いてくるかもしれません。しかし、私たちには祈りを聞き、覚えて下さるお方がいるということをもう一度心に刻みたいと思います。そして、今も大きな困難の中にある方々を覚え、心を込めて祈り、またそれぞれが出来ることに取り組もうではありませんか。
セブンスデー・アドベンチスト甲府キリスト教会 牧師 伊藤 滋
※写真は高尾山の新緑です。