強さと明るさの秘密

Mさんはいくつかの持病に加えて足の骨を骨折して入院中でした。そんなMさんの病院に初めてのお見舞いに行くとき、いったい自分はこの方に何と言葉をかけたらよいのだろうかと不安な気持ちになりました。

しかし、私のそんな心配をよそに、Mさんはいつも変わらぬ笑顔で迎えて下さいました。Mさんの周りにはいつも明るい光が射しているかのような、あたたかい空気が漂っていました。

「こんな苦しみの中にありながら、何がこの方をこんなにも強く明るくさせているのだろう?」と不思議になるくらいでした。

ある日、Mさんの病室を訪ねると、いつものMさんとは違って表情が暗く、ふさぎこんでいる様子でした。しばらく病室に滞在して、帰ろうとすると「聖書の言葉を紙に書いてください。私にも読めるような大きな字でお願いします。」と言われました。

一緒にお見舞いに行っていた指導牧師の先生がきれいな大きな字で聖書の言葉を紙に書いてMさんに渡しました。Mさんは、宝物を受け取ったように、その紙をしっかり握りしめ、何度も何度もそこに書かれている聖書の言葉を読み返し、自分の心に刻みつけているようでした。

そのMさんの姿に、「何がこの方をこんなに強く明るくさせているのか?」という疑問のヒントを見せられたような気がしました。

あなたの御言葉が見いだされたとき/わたしはそれをむさぼり食べました。あなたの御言葉は、わたしのものとなり/わたしの心は喜び躍りました。万軍の神、主よ。わたしはあなたの御名をもって/呼ばれている者です。

(旧約聖書 エレミヤ15:16 新共同訳)20160416強さと明るさの秘密

苦しみの最中にあるとき、私たちは必死に神様にすがります。しかし、その苦しみが通り過ぎると、いつの間にか神様を求める気持ちも薄まってしまうことがないでしょうか?平穏無事に過ごす中で神様の必要を忘れてしまう状態よりも、病の苦しみの中で「むさぼり食べるように」神様の言葉を求めている状態の方が、神様に近く、人として本来あるべき姿なのではないか?Mさんは、その生き方を通して教えて下さいました。

 

※写真は片倉城跡公園の新緑です。

セブンスデー・アドベンチスト甲府キリスト教会 牧師 伊藤 滋