忘れられない恩師について書いてみたいと思います。その先生は、とても情熱的で雄弁で、一緒にいるだけでこっちまで元気になるようなエネルギッシュな方でしたが、その一方で、心を込めて話しを聴いてくださる方でもありました。忙しい中、時間をとって下さるだけでなく、とりとめのない私の話しに、じっくりと耳を傾けて下さいました。
「話を聴く、ということは自分の時間と存在そのものを、相手に差し出すことである」という言葉を聞いたことがあります。心を込めて、耳を傾けて話を聴いてくれる人がいるとき、「自分はひとりではない。自分の存在をこんなに大切にしてくれる人がいる。自分は大切な存在なのだ。」という安心感を得ることが出来るということを、実体験を通して知ることが出来ました。
そのようなありがたい体験をしていながら、自分はどれだけ人の話しに真剣に耳を傾けてきただろうか?相手の話しや心の叫びを聴くことよりも、自分の意見、自分の考えを相手に語ることばかりに躍起になっていなかっただろうかと、恥ずかしくなることがあります。
わたしの愛する兄弟たち、よくわきまえていなさい。だれでも、聞くのに早く、話すのに遅く、また怒るのに遅いようにしなさい。
(新約聖書 ヤコブの手紙1:19 新共同訳)
聖書も私たちに「話すことよりも聞くこと」を大切にするように教えています。まずは今日一日、出会う人や身近な人の話しに、静かに耳を傾けてみませんか?
セブンスデー・アドベンチスト甲府キリスト教会 牧師 伊藤 滋
※写真は、八王子市内、信松院の河津桜です(2016年3月8日撮影)。