春の楽しみの一つが、ふきのとうです。我が家の庭先にも冬の終わりごろになると毎年、ふきのとうが生えてきます。天ぷらやふきみそ、色々な楽しみ方があります。あの独特の苦みを味わうと「今年も春が来たなあ」と実感します。
ふきのとうなど春の山菜に含まれる苦味成分には、新陳代謝を促すなど、私たちの体に必要な成分が含まれているとのことです(食べ過ぎるとお腹を壊すことがあるそうですのでご注意を)。春を迎え、本格的に活動を再開するこの季節にこのような山菜が育つというのは、神様からの贈り物なのかな、と感じます。
「苦い」(にがい)という言葉は、「苦しみ」(くるしみ)という言葉と同じ漢字を使います。
沖縄出身のミュージシャン、BEGINの「その時生まれたもの」という曲に、次のような歌詞があります。
明日くるはずの幸よりも 過ぎてゆく昨日の苦しみが
苦しみの方が愛おしい 愛おしいことを知りました
「幸よりも苦しみの方が愛おしい」とは、逆説的な言葉ですが、喜びや楽しみだけでなく、苦しみが私たちの人生をより深め、豊かなものにしてくれる、その通りだなと思います。私自身苦しみの中にあるとき、この歌に何度も励まされました。
苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれであなたのおきてを学びました。
(旧約聖書 詩篇119:71 新改訳)
聖書もわたしたちに「苦しみ」が「しあわせ」になり得るのだと教えています。誰もが「苦しみ」は避けたいと願うものです。しかし、山菜の苦味が、私たちに力を与えてくれるように、人生の苦しみが私たちの糧となり得るのだとすれば、「苦しみ」も、神様から私たちへの贈り物なのかもしれません。
いま、苦しみの渦中にある方の苦しみが一刻も早く取り除かれますように、そして「苦しみにあったことはしあわせでした」と思えるような何かと出会うことが出来ますように祈ります。
セブンスデー・アドベンチスト甲府キリスト教会 牧師 伊藤 滋
※北国に春を告げる福寿草(撮影:森田栄作)