「ずうっと歩いたことも、プレゼントの一部なんだよ」

20151219ずうっと歩いたこともプレゼントの一部なんだよアフリカのある村でのことです。一人の少年がキリスト教の宣教師に、クリスマスプレゼントを贈りました。それは美しく珍しい貝殻でした。少年はこの贈り物を手に入れるために、気の遠くなるような距離を歩いて往復したのでした。宣教師は感激し、お礼を言いました。少年は答えて言いました。「あのね、先生、ずうっと歩いたこともプレゼントの一部なんだよ。」(ガイドポスト編『とっておきのクリスマス』より)

私は、この少年のクリスマスプレゼントのお話が大好きです。贈り物とは、「品物」だけを指すのではなく、何を贈ろうか考え悩んだ時間や、その贈り物を探すために歩いた距離などのプロセスもすべてひっくるめたものなのだということを、この少年の言葉が教えているからです。

2000年前、イエス・キリストは、神の子の身分を捨てて、この地上に一人の赤ちゃんとしてお生まれになりました。このイエス・キリストこそが、神様から私たちへの最高の贈り物なのだと聖書は教えています。

このクリスマスの季節に、人間を救うため、この私を罪から救い出すために十字架にかかって死んでくださったイエス様に思いを巡らしたいのです。どんな気持ちでこの世界に降りて来られたのか、そしてどんな思いで人々のために働き、十字架に向かって歩まれたのか…。

キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。

(新約聖書フィリピの信徒への手紙2:6~8 新共同訳)

あなたがこのクリスマスに、神様からの最高の贈り物をしっかりと受け取ることが出来ますように。

セブンスデー・アドベンチスト甲府キリスト教会 牧師 伊藤 滋