それゆえ、わたしは彼女をいざなって/荒れ野に導き、その心に語りかけよう。そのところで、わたしはぶどう園を与え/アコル(苦悩)の谷を希望の門として与える。
(旧約聖書 ホセア2:16,17 新共同訳)
今週、聖書を読んでいて出会った言葉です。以前にも読んで励まされていたのでしょうか、赤い線が引いてありました。改めてこの聖句が心の中にスッと入ってきました。
神様が私たちを人生の「荒れ野」へと導かれることがあります。病や苦しみ、先の見えない困難の中で、どんなに必死に祈っても答えが与えられず、行く先に希望を見いだせないときがあります。しかし、そこがいかに厳しい場所であっても、神様が導かれた場所であるならば、「アコル(苦悩)の谷が希望の門へ」変えられるのだと聖書は約束しています。
私たちには、「荒れ野」に引きずり出されなければ気づくことの出来ない自分の弱さや醜さがあります。しかしその場所で自分の本当の姿に気づき、その中で神様の恵みに触れるとき、苦悩が希望に変えられるのだとしたら、「荒れ野」こそが神様の愛が私たちに注がれる場所なのかも知れません。
今年も残すところ3週間足らずとなりました。2015年は皆さまにとってどんな1年だったでしょうか。良かったことよりも、苦しかったこと・今も解決していない問題ばかりが思い出されるような1年を過ごさざるを得なかったという方もおられるかもしれません。それぞれの「苦悩の谷」が、「希望の門」であることを、私たちが信仰によって体験することができますように。
セブンスデー・アドベンチスト甲府キリスト教会 牧師 伊藤 滋
※写真は高尾山口の風景です。